フォトコミュベーシック3回目 -写真は愛情、感謝を伝えるコミュニケーションツールー

こんにちは、のむけんです。

 

昨日はフォトコミュニケーションベーシックの3回目でした。

テーマは共有

 

冒頭、写真って何?って言う問いかけがありました。

例として写真は記録、写真は証拠、写真は鏡 とかがありました。

その後それぞれにとっての写真とはを発表します。

そこでのむけんは「自分の心とか自己肯定感を映し出すスクリーン。
そして過去に撮った写真が当時の心の状態を教えてくれたりもするから積み重ねでもあるし生きた証みたいなものでもあるかな」と答えました。

他の参加者からは「感謝」と言う言葉も出たのだけどその時は「そうだねー」というぐらいの感じでした。

で、その後(だったかな(汗)ちょっと時系列の記憶があいまい)毎回する参加者同士ペアを組んで写真の撮りっこ。

ただ写真を撮るだけじゃなくて相手の魅力を伝えながら写真を撮りあいます。

のむけんは人を撮るのが苦手だったのだけど、そして撮られるのも苦手だったのだけど慣れといろいろ復活したことで今回は楽しく写真が撮れました。

 

少人数の講座なのでちょいちょい話が脱線しながら授業は進みます。

そんな中でお互いの好きな写真やら、最近アップしてた写真の話しとかになりました。

のむけんは最近富士山の写真が多いんですが「あの写真は綺麗だったねー」みたいな話から「じゃあ、富士山部に招待するねー。富士山が大好きなプロのカメラマンもいるんだよー」って言ってお誘いしてくれました。

前も書いた通り人脈を広げるのが怖いのむけんです。

以前だったら口では「ありがとうございますー」とか言いながら内心ビビッてたと思います。

ただその時は本当に単純になんかワクワクしました。

話のきっかけになった富士山の写真

他にもいろいろ気付くことは満載で写真を見て感想を言ったり、さらにペアを組んでその写真からストーリーを考えるワークでは僕の妄想力のすごさを発見したり、その妄想を表に出すことの楽しさを知ったり。

あっこ先生が「一眼で撮った写真じゃなくてもいいからガンガンアップしちゃってねー」って言うのでなんか写真のコミュだし「上手い写真、自慢できる写真をアップしなくちゃ」みたいに肩に力が入ってて見栄を張るいつものパターンに気づけたりもしました。

 

授業後はそれぞれのタイミングで、撮りっこした写真をコミュにアップするんです。

のむけんが家に帰ると早速一人がアップしてました。

ただそれは今日はのむけんとペアを組まなかった人。

当然のむけんは写ってるハズがないと思って開くと、そこには隠し撮りされたのむけんの写真もありました。

なんかそれを見て無性に嬉しかった。

「隠し撮りしてくれてありがとうー。嬉しかった」なんてコメントしてたら、写真を撮ってもらえるって・関心を持ってくれてる・ひいては愛されてるって事だなーって思いました。

そして最初の写真って何?の「写真は感謝」が降ってきました。

瞬時にのむけんの写真アルバムへと意識が飛びました。

いままであのアルバムを見ても親の愛情を受け取れなかったし、なんか自信なさそうに写ってるのむけんを見るのも嫌だったんです。

でも思い切って久しぶりにアルバムを開いてみました。

するとそこには両親の愛が詰まってました。

のむけんの田舎は高知県なのですがその高知にお正月やお盆以外に連れて行ってくれていたり、誕生日に自転車を買って貰っているのに翌年自転車が変わっていたり、忙しい合間を縫って海水浴やブドウ狩りに連れて行ってくれていたり。

誕生日には母の手作りケーキ、夏には母の手縫いの浴衣。

あたらしいおもちゃで遊ぶのむけんや、今見ると自分でも「何だこりゃ」な粘土細工の作品も写真に撮ってあってそれぞれ何なのか父が書いていてくれていたり。

そして近所の友達と遊ぶのむけん、学校行事の集合写真、誕生日にクラスのみんなが家に集まってくれた写真、今回見たらリア充でイケてるちょっとかっこかわいい少年にしか見えませんでした。

そんな写真をたくさん残してくれてた事、それをアルバムに整理してくれてた事

それはもう感謝以外の何物でもないと素直に思えました。

 

のむけんが両親に対して思っていた事。

それは「結果はともかく僕の頑張りを認めてよ」だったり

前の投稿では「母を背負ってた」って書いたけどよくよく考えると母はそれを拒否してあまり頼りにしてくれなかったからそれが寂しくて無意識では「たまには甘えてよ。僕の愛情を受け取ってよ」って思ったりしてました。

そうかと思えば僕の都合や気持ちを無視して突然依存してきて「うっとおしい」とも思ってました。

今回アルバムを見て思ったのはのむけんが感じてたその気持ちって両親が感じてた気持ちそのものなのかもしれないってことです。

不器用だし若くて無知だし忙しくて何もできないときもあるけど、愛情掛けて育ててるのにその愛情をこの子(のむけん)は受け取ってくれない。

「僕たちの頑張りを認めてよ」「愛情を受け取ってよ」「都合よく依存するな」そんなことを思っていたかもしれません。

そして一生懸命育てているにもかかわらずどこか自信なさげで活気がなくて、病気になったり、ますます拗れていく我が子を見て自信も無くしただろうし、罪悪感もバリバリ感じただろうとも思いました。

次第にどう関わったらいいのか分からなくなって、それで却って息子は「愛情を感じない」みたいに言ってますます拗れていく。

それって子供がいないのむけんでも結構辛かっただろうなと容易に想像できました。

 

取り敢えずはこのブログをアップした後に鏡に向かって「愛情を受けとったよ」「今ままでありがとう」「愛情を受け取らなくてごめんね」と伝えてみたいと思います。

本文とは全く関係ないけど、昨年フォトコミュの写真展に行った時に撮った一枚。

 

しかしフォトコミュは毎回気付きがスゴイ。

しかもそれが写真のテクニックだったりしないところが本当に驚きです。

苦手だー、怖いーって言ってた人脈を広げることも今回軽やかに乗り越えられちゃったし「フォトコミュニケーション」の名前はダテじゃないです。

真由先生、マジスゲー

これは「世界平和を目指してます」って声を大にして言っちゃっていいと思うんですけどねー、って言うか言って欲しい!


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