存在感を消し、死んだように生きた小学~中学時代

こんばんは。のむけんです。

 

前回『別に生い立ちのせいでこうなったとか、両親が悪いとかが言いたいのではありません。

ただ成長のプロセスとしてご紹介するだけです』

と言って書いた割にはなんか恨み節っぽくなってしまいました。

恨みの気持ちはないつもりなんですがまだまだ色んな感情がくすぶってるのかもしれませんね。

書くことによっていろいろ気持ちが整理されて面白いです。

まだ恨みの気持ちとかはあるのかもしれないですけど、

いろいろ悩んだお陰で今はすごく前向きで幸せで自分らしく居れてるのでいずれそうなるに至ったプロセスなんかも書きたいと思います。

でもそれはまだまだ先のつい最近の話なので今回も幼少期の話を続けたいと思います。

 

僕の中では目立つことはよくない事、できるだけ目立ちたくない、普通でいたい、出来ることなら存在感を消したいぐらいの意識が有ったのですが、今回はそんな話です。

 

以前書いたように幼稚園に行かなかったり、小学校では学校推奨のものを何一つ持っていないので体育、書道、図工の時間が憂鬱でした。

みんなランドセルを背負って通学する中ひとりバッグをもって通学するので学校の行き帰りまでも目立ってしまう(浮いてしまう)毎日でした。

 

小学校高学年になると毎年お正月は海外旅行か別荘で過ごすのが恒例になり、紅白を見ておせち食べてお雑煮食って親戚にあってお年玉貰って、お正月らしい遊びをしてあとはのんびり過ごすと言う普通のお正月は味わえなくなってしまいました。

また海外に行くと3学期の最初の数日は欠席していたのでそこでも要らん目立ちをしてしまい恥ずかしかったのを覚えています。

 

今考えると中学生になるころには、目立たないことを一番の目標に生きていたような気がします。

勉強も部活も目立ちたくないのでそこそこ、成績は3~4、部活はずっと補欠ででも問題児ではないレベルを無意識に保っていたように思います。

思い返すと中学ぐらいからとにかく何もやる気がなかったような気がします。

 

そんなやる気のないまま高校受験に突入していくんですが、中学2年の2学期ごろから周りの皆の成績が急に上がり中の上から中の中位を維持してきた僕の成績が中の下ぐらいまで一気に落ちました。

周りの皆は受験に向けて努力してたんですね。

僕は相変わらずやる気がなく、どこか受験なんて他人事、何とかなるでしょと思ってたんです。

そんな状態のまま志望校を決める面談の時期を迎えてしまいます。

周りの多くは自分のレベルに合った公立高校を第一志望にして、少しレベルを落とした私立を滑り止めみたいな感じにしてたように思い、僕もそんな感じだろうと勝手に思っていたんですが両親の意見は予想を覆すものでした。

「高校は公立以外行くな!それもレベルは譲りに譲って上位3位まで。すべり止めの私立は受ける必要ない。公立に落ちるようじゃお前には勉強は向いてないんだから中学卒業したら働きなさい」と言われました。

3者面談で先生がオロオロと母を説得してましたが、結局この方針で受験することになりました。

言うまでもありませんが僕の学力では上位3校はかなり無謀で先生のオススメ的には4位か5位の学校をと言う状態でした。

 

そんな無謀な戦いにやる気も出ず、かと言って机に向かっていないと両親に叱られるので家ではただ無意味に机に向かっていました。

音楽を聴いたり何か気分転換に趣味もしたかったのですがとにかく「そんな暇が有ったら勉強しろ。それが受験って言うものだ」って言う両親だったのでひたすら無意味に机に向かう日々でした。

何か物音を立てると両親が様子を見に来てしまうので、食事とトイレとお風呂以外は机の前でただ時間が過ぎるのを待っていました。

今思い返してもあの1年は本当に辛かったなー。

あの日々に一気に存在感を消しながら生きる術を身に付けてしまいました。

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