17歳で大病を経験 ー強力な免罪符を手に入れたのむけんー 前編

こんにちは、のむけんです。

 

今回は久しぶりにのむけんの過去について書きます。

 

何とか高校に進学し親に黙ってバイトをしたりバイクに乗ったりしていたのむけん。

2次募集で入った学校という事もあり、特に勉強はしなくても好成績は維持できました。

学校の中では勉強の出来る生徒でしたので大学に進ませたかったみたいです。

正直自分としてはもう一回受験勉強をする気はなかった。

「じゃあ、大学行かずに何するんだ?」と問われると特段何もなかった。

高校1年生の時から自動車免許の要らないレーシングカートでレース活動をしていたので対外的にはレーサーになりたいみたいなことを言っていました。

文中のレースシーンではありませんがレース中ののむけんです。なんか時代を感じます(´▽`)

でも何が何でもレーサーになるって言うほど熱いものもなく、かと言って大学も行きたくない、そんな宙ぶらりんな状態でした。

高3の夏休みには先生に言われるがまま、連日先生のご自宅にお邪魔して個人授業を受けました。

いよいよ受験も間近に迫ってきた10月、レース中、初優勝を目指してトップを走っている中でそれは起きました。

途中から急にヘアピンカーブが見えなくなったんです。

2位の選手に追い立てられながら、瞬きを繰り返しました。

それでもやっぱり見えません。

仕方がないので目線だけでコースを追うのをやめ首を振ってコースを見ました。

その後は無事に走り切り見事初優勝を遂げました。

ピットに帰ると仲間が大はしゃぎで迎えてくれました。

物凄くうれしい気持ち、達成感の中、レースの後の計量もパスしてのむけんは初優勝しました。

ヘルメットを脱いで安堵したのもつかの間、目を左右に振るもののやっぱりいつものようには見えません。

「目ヤニでもついてるのか?」と思って目をこするけどやっぱり変わりません。

物凄ーく嫌な予感はしたけどそこまでひどいわけでもない。

僕はなかったことにしてその後はマシンのメンテナンスを続けました。

 

なんとかなかったことにしたい、気のせいだったことにしたいのむけんでしたが翌日からも異変は続きました。

通学中、信号が見え辛い。

授業中黒板が見にくい。

なんか目がちかちかする。

そんな症状が続きました。

そして一週間ほどたち、通学の時見えづらいを通り越して信号が見えなくなりました。

どっちがまっすぐなのかも分からなくなりました。

自宅から一番近い信号まで行ったところで進め無くなった僕は学校に行くのをあきらめて帰宅しました。

母に事情を話すとすぐに近くの眼科に連れて行ってくれました。

眼科では視力検査、眼底の検査等が行われ「これは目の病気じゃないですね!大きい病院を紹介するのですぐにそちらに行ってください」と言われました。

紹介されたのは大学病院の脳外科でした。

すぐにCT検査が始まりました。

検査後何とも言えない不安に襲われる僕と母。

監査結果を待っていると先生から呼ばれました。

「脳腫瘍です。でも悪性の物じゃないのでだいじょうぶですよ。とにかくこのまま入院してください。受験もあるだろうけど、今はそれどころじゃないからね。治療しましょう」と言われました。

 

病気になんてなってしまってがっくりした気持ち。怖い気持ち。いろいろありましたがどこかで「これは大学に行かない口実に使える」そう思ったような気がします。

宙ぶらりんな状況から脱出する、これ以上ない言い訳でした。

自分があれも嫌、これも嫌は言えないけれど病気じゃしょうがない、医者が言うんじゃしょうがない、そんな感じでした。

 

結局病気は脳腫瘍でした。

脳腫瘍と言っても水ぶくれのようなもので取ってしまえば転移も再発の恐れもないものとのことでした。

腫瘍が視神経を圧迫していたため目が見えづらくなったとのことでした。

 

その後お見舞いに来た弟が「目がロンパッテるから見えないんじゃない。右目を少し中に押してみたら」というので押してみたところ少し見え方が改善しました。

お陰で入院中、本を読んだりすることが出来ました。

 

その後1月ほど検査を繰り返す日々が続きました。

入院しているとは言えどこかが痛いわけでも体調が悪いわけでもありません。

居たって元気な高校生です。

病院食では物足りず、毎日お見舞いに来てくれた母にリクエストをして食べ物、飲み物を差し入れて貰いました。

普段は外食を食べること、市販のの飲み物等を飲むことは許されない家庭でしたが、リクエストしたところ聞き入れてくれたので調子に乗ったのむけんは今日はマクドナルドが食べたい、吉野家の牛丼が食べたい、カルピスが飲みたい、コーラが飲みたい、ピクニックが飲みたいだのと今までできなかった贅沢、わがままを母にぶつけました。

病気だから仕方ないと母は大目に見てくれていたんでしょうが、そんな事に気づかないのむけんはここぞとばかりに甘えました。

入院中のむけんは家族の中心にいました。

いままでこんなに心配されて、気遣って貰えて、僕の要望が通ったことはなかった。

弟が産まれてからと言うもの、僕はずっと我慢をしてきた。犠牲になってきた。

きっとそんな我慢の気持ち、構って貰いたいゆがんだ欲望がこの病気を作った部分もあったと思います。

今思えば僕が小学生2年生の時、それから高校1年生の時、弟がケガして入院して両親とも弟の心配ばかりでのむけんは凄く寂しい思いをしました。

正直弟が羨ましかった。

その時どこかで「僕も入院したい」って思ったのかもしれないです。

そんな欲望が現実のものとなり、両親の心配など気にすることもなく、ここぞとばかりにわがままをエスカレートさせていきました。

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